トピック

映像技術から紐解くジェームズ・キャメロンのSF映画『アビス』

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

『アビス』という映画は、他のキャメロン監督作品とは異質である。例えば、『ターミネーター』(1984)のT-800や、『エイリアン2』(1986)のクイーンエイリアンのように、分かりやすいキャラクターが登場しない。深海に生息する異星人が登場するものの、NTI(Non-Terrestrial Intelligence)という名称が、一般に浸透しているとは言い難い。

また、エド・ハリスやメアリー・エリザベス・マストラントニオといった主演俳優は、アーノルド・シュワルツェネッガーやレオナルド・ディカプリオほど華がない。さらにストーリーに対しても、特に後半のNTIのエピソードが余計だという声が多く、こういったことから興行成績は思ったほど伸びなかった。

しかしこの作品は、キャメロンの作家性を語る上で、欠かせない重要な位置を占めている。そこでこの記事では、VFXやCGなどの映像技術から、『アビス』を再検証してみたいと思う。

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編集部注:以下、ネタバレを含みます

あらすじ①

カリブ海のケイマン海溝付近で、アメリカ海軍の原子力潜水艦「モンタナ」が、原因不明の遭難事故を起こす。周辺海域にはハリケーンが接近しており、米国政府は付近で石油採掘を行なっていた、移動式海底油田採掘用プラットフォーム「ディープコア」に救助協力を要請する。

バド(エド・ハリス)をリーダーとするディープコアの9人のクルーのもとに、高圧的な司令官コフィ大尉(マイケル・ビーン)が指揮する海軍特殊部隊(ネイビー・シールズ)と、ディープコアの設計者リンジー(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)が、小型潜水艇の「キャブ・スリー」で派遣される。実はバッドとリンジーは離婚間近の夫婦で、両名は事あるごとに衝突した。

バド(エド・ハリス)
(C) 2024 20th Century Studios.
リンジー(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)
(C) 2024 20th Century Studios.
コフィ大尉(マイケル・ビーン)
(C) 2024 20th Century Studios.

そして、ネイビー・シールズの1人であるモンク少尉(アダム・ネルソン)は、深海でも活動可能なパーフルオロカーボンによる“液体呼吸システム”を持ち込んでおり、ディープコア・クルーのヒッピー(トッド・グラフ)が飼っているネズミを用いてデモを見せる。

海と異星人

この『アビス』は、キャメロンが高校時代に書いた短編小説が原作だと言われている。しかしその短編から取られた要素は、「海溝の淵に設けられた研究所の科学者が、液体呼吸システムを用いて深海潜水を試みる」という部分のみだった。彼はこのアイデアを、高校で行なわれたセミナーの講師から得たと言う。

その高校時代の彼の趣味は、とにかくSFだった。1日1冊のペースでSF小説を読破し、『アウター・リミッツ』(1963)などのテレビシリーズや、SF映画も貪るように観まくって、宇宙への憧れを抱く。

そして彼のもう1つの趣味が、スキューバ・ダイビングである。これはキャメロンが10代のころ海洋学者ジャック=イヴ・クストーのドキュメンタリーを観て海洋学者を志し、ニューヨーク州バッファローのダイビング教室に通って、潜水技術を身に付けたことによるものだ。だから、彼にとって海と異星人の組み合わせは、長年温め続けたモチーフだった訳なのだ。

『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』を制作中のジェームズ・キャメロン監督

あらすじ②

ディープコア・クルーたちは小型潜水艇を操作し、海底に横たわるモンタナで生存者を捜索するが、全員死んでいた。そんな中、クルーのジャマー(ジョン・ベッドフォード・ロイド)が艦内で光る物体を目撃し、パニックを起こして昏睡状態となる。そしてリンジーも「キャブ・ワン」から、その光を見ていた。一方、地上ではモンタナの遭難がソ連軍の仕業だと米国政府が主張し、世界大戦直前の状況になっていく。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

コフィたちは、海軍上層部からの命令でモンタナから何かを回収するために、勝手に小型潜水艇「フラットベッド」を持ち出してしまう。そのころ海上はハリケーンに襲われ、緊急にディープコアと海上支援船「エクスプローラー」を結ぶケーブルを切断しないといけないのだが、フラットベッドの帰還を待っている間に手遅れになってしまった。

そして海上のクレーンが崩壊し、落下してきた残骸にディープコアも引きずられ、大きく破損しながらも海溝の淵でギリギリ止まるが、キャブ・スリーは失われた。ディープコアの被害状況を調べるために外に出たリンジーは、海溝から姿を現わした光る物体と再び接触する。彼女は、深海に生息する異星人だと主張するが、バドたちはその事を信じない。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

数多くのVFXプロダクションが参加

『アビス』に最初に雇われたスタッフは、VFXスーパーバイザーのジョン・ブルーノである。それは1986年に、東京青山のスパイラルホールで開催された「SFXアカデミー」(筆者も参加していた)のセミナー講師としてキャメロンが招かれていたのだが、同時に彼も講師を務めていたことで知り合った(※1)。そしてキャメロンは、彼に『アビス』への参加を強く働きかける。

ブルーノは、「子連れ狼」の米国版を監督する準備に入っていたため、ストーリーボードまでの参加という約束だったが、計画が頓挫したのでVFXスーパーバイザーを引き受けることにした。彼は必要な技術を洗い出し、VFXプロダクションの選定を行なっていった。

ただブルーノという人物は、それほどVFXのテクニックを知り尽くしていたわけではない。元々はアニメーターであり、ILMにおいて『ポルターガイスト』(1982)のアニメーション・スーパーバイザーを務めていた。そして、ILMのVFXスーパーバイザーだったリチャード・エドランドが、独立して設立したボス・フィルム・スタジオに移り、『ゴーストバスターズ』(1984)や『ポルターガイスト2』(1986)のVFXアートディレクターを手掛けている。

つまりブルーノの知識は、エドランドの流派なのである。これは、ミニチュアをブルースクリーンの前で、65mmカメラを用いてモーションコントロール撮影し、オプチカル・プリンターで合成するという方法だった。

しかしこの技法だと、コストが掛かるわりに、合成のエッジがソフトにならない。特に、土煙や泡、ライトビームなど、半透明な被写体を苦手としており、そのため海中の描写には適さないのだ。

従ってブルーノはシーンに応じて、必要な技術を持つVFXプロダクションを複数選び、分散して発注することにした。今では珍しくない方法だが、これを最初に大規模に行なった映画が『アビス』なのである。

※1
厳密には『エイリアン2』(1986)の試写でも会っていたらしいが、深い会話はしていなかった。

デニス&ロバート・スコータック兄弟の参加

元々キャメロンが、プロの映画マンとして活動し始めたのは、ロジャー・コーマン率いるニューワールド・ピクチャーズ社の特殊効果部門ニューワールド・エフェクツで、『宇宙の7人』(1980)や『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』(1981)、『ニューヨーク1997』(1981)などを手掛けていた時代である。

予算も人数も限られる中、キャメロンはコンセプトアート、メカデザイン、マットペイント、ミニチュアやセットの造形、特撮ショットのカメラマンなど、全てを手掛けなければならなかった。ただ、あまりに何でも器用にこなし、しかもその出来が優れていることで、周囲から嫌われる(※2)ことも多かったらしい。

それでも同僚のデニス&ロバート・スコータック兄弟は、キャメロンに理解を示した人物(※3)だった。そして『エイリアン2』ではVFXスーパーバイザーも務め、その後も『タイタニック』(1997)に至るまで、キャメロン映画のミニチュアを担当している。

そこでキャメロンは、今回も兄弟に参加を呼び掛けるが、彼らは旧ソ連で優れたSF/科学映画を作っていたパーヴェル・クルシャンツェフ監督の調査に取り組んでおり、長期の休暇を取っていた。だが、どうしても人が足らないということで、海上パートを担当することになる。

主なシーンの1つは、ネイビー・シールズとリンジーがキャブ・スリーに乗り込み、エクスプローラー号から進水する場面である。

スコータック兄弟は強制遠近法と多重露光を組み合わせ、オプチカル・プリンターを用いなくても、恐ろしく自然な1/4スケールのミニチュアと、実景の合成を実現させてしまった。これは、彼らが古典的なテクニックに精通していたからこその発想である。本来、ミニチュアと実景では撮影速度が異なるが、これはエキストラたちに2倍速で動く練習をさせることで解決した。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

彼らはまた、エクスプローラー号のクレーンが崩壊するシーンも担当した。これもミニチュアで表現されているが、その背景となる嵐の海にはリア・プロジェクション(スクリーンプロセス)が用いられている。

スクリーンプロセスは、今でこそLEDウォールによるバーチャル・プロダクションとして見直されている技術だが、元々は1930~60年代に流行した技法で、『アビス』当時は完全に廃れていた。だがキャメロンは、『エイリアン2』や『ターミネーター2』(1991)でも使用しており、本作ではエクスプローラー号やディープコアの窓の描写など、至る所で用いられている。

※2
皆がビーチバレーで遊んでいる時も、1人で何かを作っている。造形担当でありながら、制作に口を挟む。宇宙船のデザインを勝手に起こしては、直接コーマンに見せに行く。独自にフロント・プロジェクションの合成装置を設計し、その専用部署のオフィスは設ける……などというスタンドプレーを行なったためだそうだ。

※3
他にも『エイリアン2』『アビス』『ターミネーター2』などの製作を手掛け、2番目の妻(『アビス』の前に離婚)にもなるゲイル・アン・ハードもいた。当初は嫌われ者だったキャメロンも、このニューワールド時代の人脈が、その後の人生に少なからず影響を与えている。

ロン・コッブの参加

キャメロンは、元々イラストレーターとしての道を目指していた時期もあり、自主制作の短編映画『Xenogenesis』(1978)のころから、メカやクリーチャーのデザインなどを自分で行なっていた。それは『ターミネーター』や『エイリアン2』『ターミネーター2』、そして『アバター』(2009)にも共通していることなのだが、『アビス』では他人に任せている。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

キャメロンが真っ先に依頼したのは、彼がメカデザインの師と仰ぐロン・コッブだった。コッブとは『エイリアン2』でも組んでおり、非常に相性が良かったらしい。本作では、重要な舞台となるディープコアに、小型潜水艇のフラットベッド、キャブ・ワン、キャブ・スリー、潜水服のヘルメット、深海用特殊潜水服と液体呼吸装置などである。コッブは、そのまま設計図が起こせそうなほど、精密なデザインを行なっている。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

ドリームクエスト・イメージス

ブルーノが選んだVFXプロダクションの1社に、ドリームクエスト・イメージス(DQI)があった。同社が手掛けた主なシーンは、モンタナを小型潜水艇で捜索する場面である。

DQIのVFXスーパーバイザーであるホイト・イェットマンは、昔ながらの方法に立ち返って、煙を充満させたスタジオで海中を表現する、ドライ・フォー・ウェットの採用を決定する。また、ミニチュアを別撮りしてオプチカル合成するのではなく、1発撮りで行くことにした。これにより、小型潜水艇のライトビームが自然に見える効果を生む。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

DQIは自社スタジオに、ガントリークレーン式モーションコントロール撮影システムを作り、1/8スケールのミニチュアをワイヤーで吊って小型潜水艇を操作した。

問題となるのは、その船窓に操縦者の姿が見えるということである。これを実現させるため、超小型の35mmプロジェクターを作り、ミニチュアの中に組み込んでリア・プロジェクションした。これによって、非常にリアルな映像を実現させている。

DQIはまた、リンジーが2回目に遭遇する発光体(小型の物はNTIの偵察機、大型の物は乗り物)も手掛けた。この時、彼女は水中ブルースクリーン撮影(世界初!)されているのだが、呼気の泡のマスクは取れないため、黒バックで別撮りした泡素材が合成された。

あらすじ③

ヒッピーは、ROV(遠隔操縦無人潜水艇)の「ビッグギーク」を操作し、コフィたちがモンタナから回収したものが核弾頭で、モンタナをソ連軍に奪われる前に爆破しようとしていると知る。リンジーはコフィに激しく詰め寄るが、彼は高圧神経症とソ連に対する疑心暗鬼で正気を失っており、クルーたちとは一触即発の軋轢が生まれる。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

その夜、海水がアメーバの“仮足(かそく)”のようなものを伸ばして、ディープコアに潜入して来た。そして高度な知性を持っているように、リンジーやバドとコミュニケーションを取り始める。しかし、この様子を見たコフィは激しく怯え、防水ドアを閉めて海水の仮足を切断してしまう。

コフィは密かに核弾頭をビッグギークに装着し、それをフラットベッドで海溝まで運んで爆破しようとしていた。しかしその様子は、ヒッピーに見られてしまう。それに気付いたコフィは、銃で武装してディープコアのクルーを閉じ込めてしまう。だが、昏睡状態から目覚めたジャマーと、コフィに逆らったモンク少尉が助け出す。

しかしコフィは、小型潜水艇を出入りさせるための、ムーンプールに向かうドアを塞いでしまった。バドとキャット(レオ・バーメスター)は、氷のように冷たい海中にTシャツだけで素潜りし、ムーンプールまで泳いでいった。しかし、訓練を積んだコフィに格闘で敵うはずもなく、フラットベッドは奪われてしまった。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

斬新だったCGシーン

筆者が初めて『アビス』の映像を観たのは、ボストンで開催されていたCG学会「SIGGRAPH 1989」で、世界各国からエントリーされたCG作品を上映するAnimations Shown(※4)においてであった。

上映リストには、ILMが手掛けたCG映像の初のデモである「Industrial Light & Magic SIGGRAPH '89 Reel」というフィルムも入っていた。そして『ウィロー』(1988)や『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(1989)のモーフィング・ショットに続き、まだ未公開だった『アビス』のCG使用シーンが上映された。それがこの、高度な知性を持った海水の場面なのである。

The Abyss | Remastered 4K In Theaters | Official Trailer

これには少なからず驚いた。理由の1つは、それまでもCGを用いた劇映画(※5)は存在していたものの、興行的に成功と言える作品がほとんどなく、この時期のハリウッドはCGに対して不信感を抱いていたからだ。

また、今では信じがたいだろうが、1980年代末の米国CG界は、主要プロダクションの連続倒産で極端に低迷しており、技術では日米逆転が生じていた。特に液体のようなCG表現は、日本の独擅場(※6)だったのである。そこにこの映像が登場した訳で、「追いつかれてしまった!」という驚きもあった。

※4
筆者らが手掛けた『ユニバース2~太陽の響~』のテスト映像が2年連続で入選しており、その反響を確かめるために参加していた。

※5
『未来世界』(1976)、『デモン・シード』(1977)、『ルッカー』(1981)、『トロン』(1982)、『スター・トレック2/カーンの逆襲』(1982)、『スター・ファイター』(1984)、『2010年』(1984)、『エクスプローラーズ』(1985)、『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985)、『ナビゲイター』(1986)、『ラビリンス/魔王の迷宮』(1986)などといった映画に、3DCG(ワイヤーフレームやアナログCGを除く)が用いられている。

日本でも『ゴルゴ13』(1983)や、筆者がスーパーバイザーを務めた日米合作アニメ『SF新世紀レンズマン』(1984)がある。

※6
実際にSIGGRAPH 1989のAnimations Shownには、日本のポリゴン・ピクチュアズが出品した『In Search of New Axis』が入選している。これはX・Y・Z・Oの形をした図形が、金属質感を持ちながらも、流体のように滑らかに変形するという作品だった。

これを見たILMは、『ターミネーター2』のCG制作に当たってポリゴン・ピクチュアズに協力を求めているが、同社は「ハリウッド映画を手掛けられるだけの制作環境が整っていない」という理由で断っている。

"In Search of Axis" Series

最初は粘土アニメを予定していた

キャメロンは当初、海水の仮足を作るために、粘土アニメーションに水面の映像を投影しようと考え、ストップモーション・アニメーターのフィル・ティペットに相談した。しかしティペットは、その方法では無理だと考え、かつての同僚だったILMのデニス・ミューレンに相談する。彼は早速、「CGでテストしてみるから、それで判断して欲しい」とキャメロンに連絡した。

ミューレンは、まだ数人のグループだったILMのCG班に、1日でサンプル映像を作るように命ずる。彼らは、Alias/2(※7)を用いて簡単なアニメーションを作ったが、キャメロンはすぐにデモを見られたことに感動し、CG制作にGOサインを出す。

ILMは、モデリング/アニメーション/レンダリング用にシリコングラフィックス社のワークステーション4D/70G、4D/80GT、4D/120などを用い、コンポジットや画像処理にはPixar Image Computerを使った。フィルムスキャンには、コダックと共同開発したばかりのILM/Kodakフィルムスキャナーを用いている。

またソフトは、Alias/2の他に、レンダラーとしてピクサーのRenderManが用いられ、さらにこの作品に合わせたアニメーションやモデリングのツールも自社開発された。そして何と言っても、Photoshop(※8)を最初に使用した映画でもある。彼らは9カ月間この作業に取り組み、結果はキャメロンの期待を上回るものになった。そして彼は次回作として、CGを全面的にフィーチャーした『ターミネーター2』を企画する。

※7
カナダのエイリアス・リサーチ社が開発したCGソフトで、NURBSモデラーに定評があった。その後、いくつかの会社のソフトと統合され、現在のオートデスク社のMayaへと発展した。

※8
開発者の1人であるジョン・ノールは、元々ILMのスタッフ。

あらすじ④

バドは潜水服を着てコフィを追い、核弾頭を搭載したビッグギークをロープで固定する。逆上したコフィは、バドをフラットベッドで襲い、そこにリンジーの乗ったキャブ・ワンが参戦する。その間にビッグギークを固定したロープがほどけ、海溝に降りて行ってしまう。追跡するキャブ・ワンと、妨害するフラットベッドが激しいバトルを繰り広げ、コフィのフラットベッドは海溝に落ちて行き圧壊した。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

だがリンジーのキャブ・ワンも損傷が激しく、海溝の淵で立ち往生してしまう。内部は激しく漏水しており、彼女は潜水服を着ていなかったことで溺れてしまう。バドは、仮死状態のリンジーを抱えて徒歩でディープコアに戻り、クルーたちは必死で蘇生を試みる。

ウォルト・コンティ

このシーンのVFXスーパーバイザーを担当したのは、クジラ、シャチ、イルカ、サメなど、水中アニマトロニクスを専門とするウォルト・コンティだった。この場面では、巻き上がる土煙や落石、泡、漂うロープなどの描写が必要となるため、ドライ・フォー・ウェットは使えない。そのため、実写撮影用に設けられたAタンク(※9)で水中撮影された。

コンティは、激しいアクションが演じられるように、1/4スケールのラジコン式小型潜水艇を用意した。内部には、リア・プロジェクション用の35mmプロジェクターに、モーターやライトへ電力を送るバッテリーを内蔵していたため、200kgもの重量になってしまった。そのためコンティは、スクリューに十分な推進力を与えるため、専用モーターから開発することになった。

※9
サウスカロライナ州ガフニーで、建設中に放棄された原子炉格納容器を改造した、深さ18m、直径70mのAタンクと、タービンピットを基にしたBタンクがあった。

あらすじ⑤

バドは、核弾頭の時限装置を解除すべく、液体呼吸装置を装着して深海へ向かう。そして彼は起爆装置のコードを切断することに成功するが、ビッグギークが想定以上に深くまで潜っていたため、ディープコアに帰還するだけの酸素が残っていなかった。バドは、クルーたちへの別れのメッセージを送り、ただ1人深海で死を待つ。だが彼の目の前に、光り輝くNTIが出現する。

NTIはバドの手を取ると、さらに深海へ降りて行く。そこには、巨大な宇宙船が沈んでいた。NTIはバドと共に船内に入って行く。そしてバドのために、空気のある部屋を設けてくれた。その外には多数のNTIがおり、バドに映像や文字でメッセージを伝えてくる。彼らは、戦争を止めない人類に辟易しており、戒めのために主要都市を巨大津波で襲うと言うのだ。

NTIの表現

今だったらNTIの表現は、当然CGになるだろう。だが当時のILMは、海水の仮足の作業で余力がなかったため、パペットで表現することになった。NTIのデザインには、『トロン』(1982)のキャラクターや、『エイリアン』の宇宙服を手掛けたメビウスを始め、複数のアーティストが参加している。最終的には、コンセプトアーティストであるスティーブ・バーグのデザインが採用された。

造形は、『ターミネーター』や『エイリアン2』で組んだスタン・ウィンストンの工房が最適だと思われたが、スケジュールが空いていないという。そこでブルーノが、ボス・フィルム・スタジオ時代の同僚だった、スティーブ・ジョンソンを紹介する。ジョンソンは、ウレタンやアクリルのような透明素材でNTIのボディを造形し、包装紙などに用いられる虹色の光沢を持つプラスチックで質感を表現した。そして、光ファイバーを内部に仕込むことで、生物発光を描写している。

そして撮影は、カリフォルニア州サン・ペドロにあった飛行艇の格納庫で行なわれることが決まる。エイのように滑らかな動きを表現するためには水中で操作することが必要なため、ここに幅6m、長さ12m、深さ3.6mのタンクが作られた。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

海中の宇宙船

並行して、バドとNTIが手を繋いで遊泳する場面は、DQIに設けられたタンクで撮影された。背景が宇宙船になるのだが、ここではリア・プロジェクションが使えない。なぜならNTIの背後には、それを操作するためのケーブルやワイヤー、光ファイバーなどが装着されており、それらがシルエットとして見えてしまうからだ。

解決策として、タンク内で水中ブルースクリーン撮影する方法が選ばれる。この場合もケーブル類は見えてしまうが、ロトスコープで合成マスクを修正すれば消せる。さらにリア・プロジェクションだと、背景に対する被写体のサイズや位置は固定されてしまうが、オプチカル合成なら自由になるため、宇宙船の巨大感も表現できる。

この時、バドもパペットで描かれているのだが、NTIとは同時に操作できないという問題が生じた。NTIが水中で羽ばたく影響で、バドが安定しないからだ。また両者の合成時の処理法(マスク濃度、露光量、フィルター、発光のアニメーションエフェクトなど)の違いもあり、別撮りすることになった。

しかし、繋いでいる手の位置合わせは困難を極めたため、オプチカル・プリンターのファインダーの像を拡大投影する仕組みが開発された。また、NTIの宇宙船の外観や内部のトンネルも、DQIがミニチュアのモーションコントロール撮影で作っている。

あらすじ⑥

NTIたちは、津波が崩れる瞬間に動きを止め、後退させていく。バドが理由を訊ねると、彼らはバドがリンジーたちに深海底から送っていたメッセージを読み、人類が争いを止める可能性を信じたということだった。

そして彼らはハリケーンも消滅させ、海上のエクスプローラー号と交信が可能となる。さらにリンジーたちは、バドが生きていることを知り歓喜に沸いた。NTIたちは、ディープコアを上に載せて、宇宙船を海上まで浮上させる。ディープコアから宇宙船の上に降り立ったクルーたちは、バドとの奇跡的な再会に感動するのだった。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

宇宙船の浮上

NTIたちの宇宙船が浮上する場面は、ファンタシーII社が手掛けた。同社を率いるジーン・ウォーレン・ジュニアは、親子二代で視覚効果を手掛けて来た人物だが、その仕事はテレビ向け作品やB級映画など、低予算作品が多かった。だが、キャメロンと知り合ったことで、『ターミネーター』や『エイリアン2』ではメインでVFXスーパーバイザーを担当し、以後も『ターミネーター2』や『トゥルーライズ』(1994)に参加している。

ファンタシーIIは、宇宙船本体に先行して現れる塔を、高さ2mと6mの2タイプ用意した。これらをウインチや空気圧で上昇させ、最大11.5倍で高速度撮影することにより、巨大感を演出している。撮影されたのは、カリフォルニア州南部の砂漠にあるソルトン湖で、対岸が隠れて水平線のように見える場所が選ばれた。

また宇宙船全体が浮上してくる俯瞰ショットは、ファンタシーIIの駐車場に作られた、前面の幅10m、後面の幅12mの台形プールで撮られている。白波を表現するために、200本以上のチューブから、酢酸と炭酸水素ナトリウムの溶液が流れ出す仕組みになっており、酸アルカリ反応によって炭酸ガスの泡が発生するように設計されていた。

『アビス』
(C) 2024 20th Century Studios.

津波シーン

1989年に公開されたバージョンでは、津波シーンがバッサリ削除されていた。最大の理由は20世紀フォックスとの契約を大幅に超える尺にあった。なぜ津波シーンが切られたかについては、試写会で笑い声が聞かれたからだとか、キャメロン自身が繋がりに疑問を感じたなど、複数の説があって今一つ曖昧である。

だが1993年に、30分延長された特別編で復活した津波は、オリジナルのバージョンではないそうだ。

当初ILMは、ハワイで高速度撮影された実写の波に加え、ミニチュアのモーションコントロールで作られた、崩壊の途中で静止する波で表現していたらしい。そしてこの出来は、けっして良いとは言えなかったそうである。

だが、初公開から4年の間に技術も進歩し、CGバージョンの津波と差し替えられることで、この場面が復活した。結果として、1989年版では不明瞭だったNTIたちの動機が、よりハッキリしたものなっている。

編集部注:4月10日発売の「アビス 4K UHD」では、UHD本編ディスク、BD本編ディスク共に、劇場公開版と完全版の2種類が収録されている。

「海と異星人」のテーマへのあくなき挑戦

このように完全版を改めて観ると、キャメロンは人類とNTIのコンタクトをメインで描こうとしていたと考えられる。

だが、彼が表現したかったイメージは、技術的制限によって100%達成できた訳ではなかった。そのことが、この作品の評価を落としている原因にもなっていると思われる。いずれキャメロンは、再びこのテーマに挑戦するのではないだろうか。

それを実感させてくれるのが、2005年にキャメロンが監督したIMAX 3Dドキュメンタリーの『エイリアンズ・オブ・ザ・ディープ』だ。

この作品では、彼自身が小型潜水艇に乗り込み、深海底の熱水噴出孔に生息する生物たちを観測する。そして話は未来へ飛躍して、木星の衛星エウロパに拡がる氷床下の深海へと向かい、そこで知的生命体と遭遇して、海底に拡がる都市を発見する。これは紛れもなく、『アビス』の姉妹編と言える作品だ。

そしてこの海と異星人のモチーフは、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(2022)にも繋がって行く。そしてキャメロンは、『アバター』シリーズをどこかの段階で若手に任せ、自分は再びこのテーマに最新技術で挑戦するのではないだろうか。

大口孝之

1982年に日本初のCGプロダクションJCGLのディレクター。EXPO'90富士通パビリオンのIMAXドーム3D映像『ユニバース2~太陽の響~』のヘッドデザイナーなどを経てフリーの映像クリエーター。VFX、CG、3D映画、アートアニメ、展示映像などを専門とする映像ジャーナリストでもあり、機関誌「映画テレビ技術」、WEBマガジン「CINEMORE」、劇場パンフなどに寄稿。デジタルハリウッド大学客員教授の他、女子美術大学専攻科、東京藝大大学院アニメーション専攻、日本電子専門学校などで非常勤講師。